華和家の四姉妹

帰省をしていたので、
録画予約で撮り貯めていたのを
今日見ました。


華和家の四姉妹 第9話で
竹美ちゃんが、

「才能があるかどうかは
 他人が決めるんじゃなくて
 自分が決めるんだよ」


と言っていました。


これを聞いてかなり感動しました。


人生において他人の意見など
全く関係ありません。


親を含めて他人というものは
本人の考えなど理解せず
(完全に理解できる訳もありませんし)
いろんなアドバイスをしてきます。


自分の道を決めるのは自分です。
他人の意見に従ったとしても、
それでいいんだと決断するのは(決断したのは)
自分なのです。


他人が、あなたの人生の責任を
とってなどくれません。
将来、後悔するのは自分なのです。
他人はそんな場面でも
「そう思ってたんなら
 そうすればよかったじゃない」
などと無責任なことを言うのです。


でも他人を責めてはいけません。
結局、選択したのは自分だということを
忘れてはいけません。


そんなわけで
自分の人生は自分が決めるのです。


これは、
「自分で決めなさい」とか
「自分で決めていいのですよ」とか
「自由に生きなさい」とか
「目標を持ちなさい」
なんて言いたいわけではありません。


「他人の意見に流されようとも、
 結局は自分で決めたことになってしまう」
ということなのです。


「こんな人生でいいのかな」
なんて悩みながら生きても
誰も救ってくれません。
自分の人生に価値を見いだすのも
自分なのです。


それならば、
自分の直感を信じ、
他人の意見は参考程度に聞き流し、
自由に生きればいいのです。


才能についても同じです。
「時代が自分に追いついていない」とか、
「馬鹿ばっかりで私のすごさを理解できる人がいない」とか、
他人からは屁理屈にしか聞こえない台詞を、
真顔で言えるくらい、自分の才能を信じて
突き進めばいいのです。


貧乏だろうと、他人に迷惑をかけようと、
自分を信じることをやり続けてこそ、
他人のサポートを心からありがたいと
思えるようになるのです。


自分の人生劇場に登場する人物は、
主役の自分だけです。
他はカボチャがゴロゴロ
転げ回っているだけなのです。


あなたの才能はちっぽけではない。
そのことをあなたは昔から知っているはずです。
自由に生きましょう。


とかく日本は、
「他人に迷惑をかけないようにしなさい」とか、
「自立しなさい」とか、
「稼がないと生きていけないでしょ」とか、
他人のご機嫌を窺うことが最優先であると
教育されて育ちます。


たしかに昔の農村などでは、
収穫期などにどうしても
他人の力を借りる必要がありますし、
集落の一員として住み続けるには
のけ者にされないことも重要だったでしょう。


しかし現代では、自分の考えを押し殺してまで、
他人の顔色を窺う必要はないでしょう。


私自身の考えとしては、
自由を追い求めすぎないことが
大事だと思っています。
苦しいときに投げ出すことも含めて
考えられることは、大きな才能です。


なので、夢を追い続けることが大事
ということをなにより主張したい
というわけではありません。


「夢」という一文字で
いろいろな事が語られます。
始めたら止められない不幸もあると思います。


そして、
止められないと思ってしまうために始められない
という不幸もあると思います。


そして不幸の原因が
「他人からどう思われるかが気になる」
ということだとしたら、
「そんなことは気にしなくていい」
ということがいいたいのです。


あらゆることは、自分で決めていいのです。
他人の考えなど、どうでもいいのです。


自由には責任が伴うなんて嘘です。
生きていることに、ちょっとの責任が伴うだけで、
自由に責任は伴いません。


なので、
「私には才能がある」
と思うことや公言することなんて、
自由の中のほんのちっぽけな一部です。


あなたは日々の生活の中で、
いろんな事を決めて生きています。
お昼ご飯に何を食べるか決めることなんか
大英断です。
それに比べたら自分に才能があると
思うことなんか
ほんとうにちっぽけなことです。


やめることも含め、何でも自由に。